- 926 : ◆.SlZQL/YA6 :2008/02/08(金)
00:19:58 ID:pjIdHnxNO
- 落ち着きのなさにかけては西日本でも5本の指に入る三十路、
僕の友人(兼保護者だと本人は言い張っている)坂さんは
時々有り得ない無茶をする。 そして僕はかなりの確率でそれに巻き込まれる。
その日、学校帰りの僕は坂さんに拉致同然に連れ出され、
行き先も知らないままフィアット(後部に嫌な感じの凹み有り) の助手席に無理矢理押し込められた。 「なにするんですか!」
膝の上に鞄を放り出され抗議の声を上げる僕に、坂さんは瓢々と応えた。 「いやね、最近遊んでやれてへんからドライブにでも連れてったろ思うて」
「せめて事前に言ってください。そんで出来るなら休みの日にしてください」 「休みは寝てたいもん」
「黙れやおっさん。休み関係ないやろ、ニート同然のくせしよって」 悪態をつく僕に構わず、坂さんはやけに楽しそうにアクセルを踏み込んだ。
途端、フィアットはパーキングから非常識な速度で道路に飛び出した。 急激に後ろに引っ張られ、僕は間の抜けた悲鳴を上げた。
「坂さん運転出来るんですか!?」 「馬鹿にしたらあかんで、僕だって免許持ってんねから。 周りは止めるけど」 「降りる!」
「そっち車道やから降りたらひかれんで」
- 927 : ◆.SlZQL/YA6 :2008/02/08(金)
00:21:52 ID:pjIdHnxNO
- 結局目的地に着いた頃には、日はすっかり落ちていた。
僕達は車から降りると、暗闇の中に建つソレを見上げた。
2階建てのアパート――もっとも壁は数箇所に大きな皹が入り、 窓は板が打ち付けられていたりガラスが割れていたり、
明らかに人の住んでいる気配はない。 見ていて気分の良くなるものではない。僕は坂さんに視線を移した。
僕の困惑に気付いたのか、坂さんは静かに語り出した。 「僕の親戚の知り合いの知り合いが持っとる物件なんやけど……
ご覧の通り、人は住んでへん」 「なんかあったんですか?」 嫌な予感をひしひしと感じながら僕は聞いた。坂さんは曖昧に笑う。
不安が増す。 試しに僕は鼻をつまんでみた。途端に鼻孔の奥に臭いが湧く。 獣と――鉄の臭い?
胸が締め付けられるような嫌悪感を感じて、慌てて手を離した。 「帰りましょうよ」 無駄だとは分かっていながら、僕は坂さんに言った。
坂さんは僕の背中を2、3度叩くと、アパートに向かって歩き出した。 妙に楽しそうに。
- 928 : ◆.SlZQL/YA6 :2008/02/08(金)
00:24:15 ID:pjIdHnxNO
- 頭を振り、その後に続く。どうせ坂さんがいないと帰れないんだし、
あの人を一人にしたら何をしでかすか分からない。
何かしらの対策は立てているだろうし、本気でヤバくなったら逃げればいい。 僕はいくつも言い訳を考えながら、アパートに足を踏み入れた。
懐中電灯で足下を照らし、坂さんは舌打ちした。 「見てみ、これ」 中は大分荒らされていた。
煙草の吸い殻やカップ麺のゴミ、はては花火の燃えカスなんかが 玄関に散らばっている。 暇な奴が忍び込んだのだろうが、人の事は言えない。
鼻をつままなくても獣の臭いがぷんぷんする。 僕は知らずに坂さんの服の裾を握っていた。 木張りの廊下を進む。
部屋は3つ並んでいて、それぞれ扉に板が打ち付けられている。 表札は黒く塗り潰され、かつて住んでいたのがどんな人物なのか、
窺えるものは何もなかった。彼らがどんな思いで部屋を後にしたのか。 考えることさえ出来ない。 「……全部閉まっとるみたいやな」
扉を順々に照らしていた坂さんは、 最後に廊下の突き当たりにある階段に光を向けた。 「……上るんですか?」 「当たり前やろ」
そっけなく答え、坂さんは僕の手を引いて階段へと進む――
- 929 : ◆.SlZQL/YA6 :2008/02/08(金)
00:27:51 ID:pjIdHnxNO
- その時だった。
2階から鈍い音が響く。 さすがに坂さんも足を止め、こちらを振り向いた。 「今のは」 「……知りませんよ」
震える足でやっと立っている僕に、坂さんは苦笑いした。 「ここで待っとくか?」 「そんな!」 「冗談や」
坂さんは僕に懐中電灯を持たせると、後ろに回って背中を押した。 僕はぎこちなく、軋む階段を上り出した。
1階と比べると、2階はまだ綺麗だった。 だがさっきの音のせいで、それがかえって不気味に感じられた。
僕は後ろの坂さんを何度も振り返りながら、一つ一つ扉を確認していく。 「……そういえば、なんでこんなことしてるんです?」
そもそもの基本にたちかえり、僕は坂さんに尋ねた。 坂さんはばつの悪そうな顔をした。 「兄貴に頼まれたんやわ」
「兄弟おったんですか?」 そんな話は初耳だった。 「仲は悪いけどな……宗次郎なんて名前は、次男にしか付けんやろが」
「そういやそうですね」 二つ目の扉にも板が打ち付けられていた。 そして僕らは最後の扉の前で立ちすくんだ。
- 930 : ◆.SlZQL/YA6 :2008/02/08(金)
00:33:46 ID:pjIdHnxNO
- 板が打ち付けられていない。表札もかかっている。
ただ、扉は真っ黒に塗り尽されている。
明らかに他の部屋とは違う。さっきの音はここから聞こえたのだと、 理屈ではなく直感で理解した。
僕はゆっくりとドアノブに手をかけた。震えている。 坂さんを振り返る。
いつもの白い顔が、しかしいつもとは全く違った険しい表情が、そこにはあった。 僕は意を決してノブを回した。カチリ、と手応えを感じる。
そして、吐き気を催す獣と鉄の臭い立ち込める部屋を開いた。
- 988 : ◆.SlZQL/YA6 :2008/02/20(水)
02:26:49 ID:ItRqWCczO
臭いが濃い。全身を染められるような気がして、思わずよろめいた僕を、 坂さんが支えてくれた。 黒かった。 ただ黒かった。
壁も天井も床も真っ黒に塗り潰されている。 あるはずの窓は見当たらず、懐中電灯の光さえ飲み込むんじゃないかと
錯覚してしまうような暗黒が、そこには広がっていた。 ただ一点、ちょうど部屋の中心に、白い物体が落ちていた。
懐中電灯の光を投げ込み照らしてみると、それがてるてる坊主だと分かった。 なんでこんな所にてるてる坊主が落ちているんだ?さっきの音はこれか?
それにしては音はもっと重そうだったが―― 次々に湧き上がる疑問に混乱しはじめた僕は、坂さんを振り返った。 坂さんの顔は歪んでいた。
怒りとも困惑ともつかない表情に僕は不安になる。 「あの、坂さ」 「勇馬」 語尾を遮り、坂さんは僕を呼んだ。
その声は僅かだけど震えていて、僕の中の恐怖を大きくさせる。 「……なんですか」 「僕が合図したら、部屋ん中突っ込め」
「はぁ!?」 「ええから言う通りにしろ。嫌やったら突き飛ばしたるから」 「坂さんは!?」 「……僕は大丈夫や」
僕の肩を掴み、反論を許さぬ雰囲気に黙らせられる。
- 989 : ◆.SlZQL/YA6 :2008/02/20(水)
02:28:43 ID:ItRqWCczO
- 眼前には先の見えぬ暗黒が口を開けている。
僕は目を閉じた。その方が落ち着くと思ったからだ。
けど実際には、ただ臭いをより濃厚に感じさせるだけだった。 心音だけが聞こえる。 背中を押され、僕は足をもつれさせながらも駆け出した。
一歩進んだ瞬間から、肌にぬるりとした何かがまとわりつく。 油の中を泳いでいるような不快感に体が重くなる。 「止まんな!」
背後からの怒声に意識を足に集中させる。 頭が痛い。体が寒い。吐き気がする。汗が止まらない。
手足の感覚がなくなっていく。それでも僕は止まらない。 果てはどこだ?いつまで走ればいい? たかだかアパートの一室を横断するだけなのに、
永遠に走り続けなければいけないような―― 悲鳴が聞こえる。気にせず、なおも走る。
何かに足が引っかかる。ギリギリで体制を立て直し、なおも走る。 誰かに制服の裾を掴まれた。必死で振り払い、なおも走る。
込み上げる悲鳴を喉奥に飲み下し、僕は必死で走った。 ピリピリと皮膚が痛み、口の中に鉄の味が広がる。
鉄の味?だとすればあの臭いは、僕が鉄の臭いだと思ったものは。
踏み込んだ足はそのまま飲み込まれ、奇妙な浮遊感が生まれた。
そして僕は意識を失った。
- 990 : ◆.SlZQL/YA6 :2008/02/20(水)
02:30:08 ID:ItRqWCczO
- 眼前に広がる星空に、去年行ったキャンプを思い出した。
高校生にもなって馬鹿馬鹿しいなんて思っていたけど、結構楽しかった。
キャンプファイヤーで踊ったのはなんだったっけ? マイムマイム?オクラホマミキサー? ああそれにしてもなんでこんなに体が痛いんだろう。
僕、なにかしたっけ? 「生きてるか?」 視界に無表情な白い顔が入ってきた。誰だっけこの人?
「おい、なんか反応返せや。寂しいやろが。僕のこと分かるか?」 からかうような軽い口調に、僕は突然に覚醒する。 「坂さん!」
「はい正解」 坂さんは無表情のまま、僕の鼻をつまんだ。 鼻孔の奥に湧き起こる、獣の臭いと鉄の――血の臭い。
僕は跳ね起き、そして愕然とした。 そこには2階建てのアパートなんてなかった。 満天の星空の下、ただの原っぱに犬の死体が散乱していた。
あるものは頭を割られ。あるものは腹を裂かれ。 眼球に何本も釘が刺さっていたり。首と胴体が棒で繋がれていたり。
輪を描くように捨て置かれたいくつもの死体が、腐臭を撒き散らしていた。 その光景のあまりのおぞましさに、言葉を無くした。
- 991 : ◆.SlZQL/YA6 :2008/02/20(水)
02:31:39 ID:ItRqWCczO
- 「……兄貴は僕を憎んどる」
坂さんは原っぱの中心を睨みながら呟いた。 それは世界の裏側から聞こえる声のようだった。
「原因は僕にあるから、それはええ。 けど、君を巻き込むんはあかんなぁ」 まるで目の前にお兄さんがいるかのような口調を不思議に思い、
僕は坂さんの視線を追った。 死体の輪の中心に、てるてる坊主が落ちていた。 僕が部屋の中に見つけたのと同じ、不自然な程に白いてるてる坊主。
坂さんは暫くそれを睨んでいたが、やがて諦めたように空を仰いだ。 「君を巻き込むんはあかんなぁ」
思い出したような吐き気をどうにか処理し、僕らは車に乗り込んだ。 制服が血で汚れていたから、まずは坂さんの店で着替えてから、
家に送ってもらうことになった。 「上手い言い訳、考えとけよ」 坂さんの言葉に、僕は力なく頷いた。
- 992 : ◆.SlZQL/YA6 :2008/02/20(水)
02:42:12 ID:ItRqWCczO
- 一週間後、僕は坂さんに呼ばれて店に行った。
坂さんは相変わらずレジスターに肘をつき、壊れたテレビを眺めていた。
違いといったら、白い顔の左頬が赤く腫れていたことぐらいだ。 「あの後、どないやった?」
「めっちゃ叱られましたよ……その顔、どないしたんですか?」 「兄弟喧嘩してきたんやわ」
坂さんはひらひらと手を振った。手首には包帯が巻かれている。
坂さんはレジスターの下の金庫からなにやら取り出すと、
僕に向かって放り投げた。 受け取ったそれは、不自然な程に白く、 違和感を覚える程に重い、小さなてるてる坊主。
小さく悲鳴を上げた僕に、坂さんは薄く笑った。 「心配せんでええ。それはお守りや。 兄貴からぶんどってきた」
「……これのために、わざわざ喧嘩しにいったんですか?」 「僕は君の保護者やからね。おかげで大分男前になってもうたけど」
坂さんは大きく伸びをすると、「やっぱり兄貴は嫌いやわ」と呟いた。
坂さんは時々とんでもない無茶をする。
そして僕はそれに巻き込まれる。 けど今回は怒れない。 原因はどうあれ、坂さんは僕の為に怪我をしたんだ。
それを忘れない為に、僕はてるてる坊主を鞄に取り付けた。
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